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神戸地方裁判所 平成9年(ワ)1904号 決定 1998年3月31日

主文

本件を東京地方裁判所に移送する。

理由

一  「事務所、営業所」所在地の裁判籍について

1  一件記録によれば、以下の事実が一応認められる。

(一)  被告は、コンピューター及びその周辺機器の設計、開発、製造、賃貸、輸入並びに販売等を目的とする株式会社である。被告の本店の所在地は東京都であり、商業登記簿上支店の登記はない。被告の主な業務の内容は、主にIBM製オフィスコンピューターに接続可能なコンピューター・ネットワーク機器(以下「コンピューター機器等」という。)をカナダの親会社より輸入し、主として日本のIBM製品の販売店に販売するというものである。販売方法としては、店頭販売は行っておらず、営業担当者が新規又は既存の顧客を訪問して商談を行い、商談がまとまれば、両者の間で基本的取引条件を記載した覚書を交わすか、あるいは被告が見積書を発行した上で、顧客が注文書を被告に交付するというものであった。

(二)  原告は、平成六年五月、被告に従業員として採用され、神戸市東灘区にある自宅内の一室を拠点として、業務を行っていた。その際、被告は、原告の自宅に被告名義の電話回線を敷設し、原告に携帯電話、ファックス、コンピューターを貸与し、「西日本営業部長」という肩書を与えて業務させていた。右電話回線の番号は、電話帳に「パールシステムズ株式会社」という名称で記載されていた。

(三)  原告の業務の内容は、主に関西方面での新規又は既存の顧客を訪問し、コンピューター機器等の販売について商談を行うというものであった。その際の顧客との取引方法は、前記(一)記載のとおりであり、原告が取引先と覚書を取交わす際には、被告代表取締役社長の調印が必要であり、見積書については被告の予め設定した一定の基準の範囲内の販売価格、支払条件等を記載したものに限り発行できた。顧客の注文書の送付先は、原告ではなく、被告宛であり、受注した商品の出荷は、被告から顧客へ直送するか、顧客が指定した場所へ納品することになっていた。

(四)  被告は、原告の給料をいわゆる口座振込の方法により支払っており、毎月二五日に、原告の指定した神戸市にあるさくら銀行甲南支店の原告名義の普通預金口座に振込送金していた。被告は、右送金手続を東京都に所在する銀行の支店において行っていた。

(五)  被告は、平成八年一〇月二二日、原告に対し、同日をもって原告を解雇する旨通知した。

2  旧民訴法九条にいう「事務所又は営業所」とは、少なくとも業務の全部又は一部について独立して統括経営されている場所であることを要するものであり、単に業務の末端あるいは現業が行われているに過ぎない場合は、仮に独立して業務を行いうるような外観を備えているからといって、直ちに同条にいう事務所又は営業所ということはできないと解される。そうであるところ、前記認定及び一件記録によれば、原告においては、名刺の表示や電話帳の記載等から、外観は独立して業務を行っているようにみえるが、その業務の内容は、被告の取引先との商談をしているに過ぎず、注文受諾の決裁権は被告の本店にあるから、原告は、取引先との単なる窓口としての機能を果たすものであって、原告の自宅において基本的業務行為であるコンピューター機器等の販売を独立して行う権限を有していないというべきである。

これに対して、原告は、自ら担当する顧客との間では本社決裁によらず、商品の売買契約等を締結する権限が与えられていた旨主張し、その旨の原告の陳述書(疎甲八)もあるが、他方で、被告は、右権限は与えていない旨主張し、これに沿う被告代表者本人の陳述書(疎乙二)がある。現段階での一件記録に照らしてみると、原告の陳述書以外にその主張を裏付けるに足る十分な資料は見当たらず、これによっては、直ちに原告の前記主張を認めることはできない。

よって、原告の自宅は、被告の業務を独立して統括経営している場所ということはできず、「事務所又は営業所」には当たらない。

3  原告は、自ら原告の自宅を営業所とした被告が営業所が存在しないことを主張することは禁反言の法理に反する旨主張する。しかし、一件記録によっても、被告が原告の自宅について、営業所の実態があるものと認めていたとはいえず、本件においては、被告の主張が禁反言の法理に反するとはいえない。

4  本件において特徴的なのは、労働者が自宅に在宅したまま、電子メール等を利用した通信手段によって主要な業務連絡を行っていることである。このような勤務形態の労働者にとって遠方の本店において訴訟追行を行うことは確かに負担ではあり、通信手段の高度な発達に伴う問題点の一つの現れということができる。しかしながら、このような負担については、争点整理手続において、電話会議システムを利用することなどにより、相当程度緩和することも可能ではないかと考えられる。

5  以上のとおりであり、本件において事務所、営業所所在地の裁判籍を認めることはできない。

二  義務履行地の裁判籍について

原告は、賃金債務の履行について銀行振込の履行による場合には、弁済の効果は労働者が指定した金融機関の口座が存在する場所で発生するのであるから、同所が旧民訴法五条にいう「義務履行地」であると主張する。

労働者の賃金支払義務の履行場所は、まず、労働協約、就業規則等に定めがあればそれに従い、それがないときには、当事者間における履行場所についての黙示の合意、事実たる慣習の成否につき検討し、それらもないときに、はじめて民法四八四条の持参債務の原則の適用を考慮すべきである。

右一1(四)の認定によれば、被告は、原告の給料を銀行振込の方法により支払っており、両者の間に右支払方法についての合意があるものと認めるべきである。ところで、銀行振込の方法を取った場合、債務者が払込手続を取ったのであれば、債権者への支払手続の確実性に欠けるところはないから、債務者が銀行の支店等に送金手続をした時点で義務の履行が終了したものと解すべきである。

したがって、本件において、原告の給料の振込口座がある神戸市を義務履行地とすることはできない。

三  結論

以上のとおりであるから、本件の管轄権は当裁判所にはなく、被告の本店所在地を管轄する東京地方裁判所にあるものと認められるので、旧民訴法三〇条一項に基づいて主文のとおり決定する。

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